地震の翌日 上野

3月12日(地震の翌日)朝10時ごろの上野。
地震の時は秋葉原に居た。地震の瞬間はLAOX、大きな揺れに店員と一緒に外に出るもなお揺れは収まらず。
多くの人が道路に出て揺れるビルを見ていた。いくつかのビルではガラスが割れたり外壁の一部が剥げ落ちる被害があったよう。まだ、このときは「あぁ大きい地震だったなぁ」程度の認識。まさか東北ではあんなことになってるなんて。
秋葉原、店もほとんど閉められる。当然電車は動かず。ガスが止まったとかで飲食店もほとんど店を閉める。路上と駅前は人がいっぱい。自分は歩いて神田へ。神田は秋葉原よりいくらか人が少ないようだが駅はやはり混乱。携帯もぜんぜん通じない。近くの居酒屋で食事がてら電車が動くのを待つのと情報収集(といってもテレビ見るだけ)。7時過ぎ、どうやら本日は電車動かないとのこと。あぁやっぱり。近くのホテルもカプセルホテルもいくつか見たけど全部満室。歩いて帰る人の波、駅で座り込む人、公衆電話に並ぶ人、来る当ても無いタクシーの列に並ぶ人。駅員が「近くの小学校が避難所になるからそこで泊まれる」と言うので言ってみたが、その小学校は門が閉まっていて中に入れず。避難所になっている様子も無い。駅に戻り駅員に話すと「電話が通じないから確認のしようが無い」とのこと。あー混乱してるんだなぁ。小さな子供を連れた人は本当に大変そう。助けてあげたくても何もできない。9時ごろ、銀座線が復旧。とりあえず浅草まで行く。浅草に行くと避難所への案内。今度はちゃんとしてて駅から10分歩いた体育館が避難所になってた。柔道場のような部屋で雑魚寝。それでも寒い外や駅に居るよりだいぶマシ。明け方は氷点下だろうし助かった。夜中に毛布も配られいくらか眠れる。
翌日、東武伊勢崎線に乗りたいが動いてない。JRは9時ごろから動くというテレビの情報を頼りに銀座線で上野へ行く。しかし・・・(上の写真)上野駅は人であふれてる。電車は動いているといっても京浜東北の一部だけでしかも30分に1本程度。さらに混雑のためたびたび止まるらしい。人の列はホームから改札、さらに駅の外の4号線まで続いている。これでは乗れるまで数時間以上かかる。いやそれでも乗れないかも。コンビニも食料無くnewdaysなんか開いてもいない。トイレは大行列。この状態で並ぶのは危険。しかももう銀座線にも乗るの難しいほど、地下鉄側も大行列。あー上野に来て大失敗。こんなときターミナル駅は使えない。稲荷町まで歩いてそこから銀座線のり再度浅草。昼ごろ東武線動き出すも北千住でいったん降ろされる。これがまた大変。北千住駅もやっぱり大混雑。降りたホームからまたすぐに乗りたいのに一旦ホームから出て欲しいとの事。なんでかというと、乗る人がホーム下の階段前から大行列。30分間隔くらいで電車は動いてるそうが、これもまたいつ乗れるのかまったく予想がつかない。
なので一駅歩くことに。小菅まで歩いて40分。同じように歩く人多数(下の写真)

小菅からはあっさり乗れて、なんとか帰れた。
思ったこと。災害の時、ターミナル駅は使い物にならない。電車が止まるとみんな考えることは一緒でターミナル駅を目指す。しかし東京は人が多すぎる。コンビニから食料はなくなりトイレは大行列、電車は動き出しても本数は通常よりからり本数減らす、というより30分に1本に対してこの人の多さ。電車もあまりの混雑で運行を停止した駅アナウンス。あー電車のドア閉まらないのかな。なんて思う。避難所や路上で寝た翌日に数時間の行列、食べ物も無くトイレも行けずやっと乗れた電車もドアが閉まらず動かないんじゃあまりにも大変。
自分も避難所で泊まった後、避難所でもっとゆっくりして完全に電車が動いて混雑が解消されてから帰ればよかったかな。