募金は善行なのか名誉欲なのか偽善なのか

募金は良いことである。しかし行き過ぎた募金活動は偽善ではないのか、考えてみた。
今回の震災で街のあちこちで募金活動が行われている。テレビでは「募金はこちらの口座にしてください」、ラジオでも、インターネットでも。街を歩けば駅前や商店街、コンビニにも募金箱がある。実感としては募金箱も募金する機会もありすぎなイメージがある。まず、自分の募金に対するイメージを上の図にしてみた。
誰にも言わずに募金する、これは善行(ぜんぎょう)だと思う。
募金したことを回りの人に言う、あるいは人前で募金するとちょっとした名誉になる。これはこれで良いと思う。人は良いことをしたいし褒められたいし名誉も欲しい。その全てが満足するし、有名人は売名行為やイメージアップにもなるのでそれはそれで良いのではないだろうか。
問題は募金箱を持った人が募金者に働きかけること。「ここに募金箱がありますよ」は良いけど「ぜひ募金してください」はグレーゾーン、「○月○日に取りに行きます」というのはやり過ぎではないだろうか。

上の回覧は町内会から各家庭に配られたもの。丁寧にも封筒が一緒に入っていて、「それにどうぞ」との事らしい。さらに手書きで○月○日に班長が取りに行きますというメッセージもある。班長と言えば当然ご近所。これ出さない方が難しい。
もちろん被災者に対しては手助けしたい。お金だって生活に支障が無い範囲で出したい。でも、町内でこんな風に「集金」するのはどうかと。この回覧は各町内の自治会長さん達が集まって決めたことらしい。自治会長ってどこの町内でも立派な家に住んでる人ばかりなんですよね。そういえばあそこの町内の会長ってすごい地主でアパートをいっぱい持ってたな。アパートの住人で家賃が払えなくなった人は追い出すけど・・・