夏ときゅうりの思い出


夏にきゅうりを食べると思い出すのは十年以上前のこと。路線バスの運転手をしていたとき、良く乗る農家のおじさんにきゅうり数本をもらった。日に焼けた顔に麦わら帽子。口数の少ない60過ぎのおじさんは、『ほれ、きゅうり』と何気なくくれた。
『ありがとね』と礼は言ったものの正直そんなに嬉しくはなかった。事務所に戻ったら誰かにあげようと思ってた。
田舎の山間を走るバスと農家のおじさんときゅうり。いかにもな組み合わせ。じきにおじさんはバスを降りる。自分はもらったきゅうりを棚に置いておく。すると他に乗ってきたお客が次々と『いいきゅうりだね』とか『誰のだい、おいしそうだね』とか次々とそのきゅうりをほめる。田舎のバスだから農家の人が多いのはわかるけど、みんながみんなそのきゅうりを気にかけるのは不思議だった。

事務所できゅうりのもらい手はなかった。これどうしよう、と思ったが、乗客が『いいきゅうり』と言ってたのを思い出し、持ち帰った。家でサッと洗って切って塩をつけて食べてみた。
びっくり。
なんだこのきゅうりは!ってほどおいしい。今まで食べてたきゅうりとは別物。見た目は悪くて大きくて切るとタネがブツブツしてて少しじゅくじゅくしてる感じ。でも甘くてみずみずしくておいしい。その時、きゅうりってこんなにおいしいものだと初めて知った。
後日、他のお客でそのきゅうりを見たおばさんに聞いたら、あれは『地這いきゅうり』とのこと。しかも大きくて食べ頃っぽいので『いいきゅうり』と言ったそうだ。何でもこの『地這いきゅうり』は普通のきゅうりよりおいしいのは農家の人は良く知ってるけど見た目が悪いのと面積の割に数が出来ないから売り物にはならず、農家の中だけで消費するきゅうりとのこと。きっとあのおじさんはそのきゅうりの中で出来も収穫のタイミングも一番良いのをくれたんだろうね。などと話した。
その後、きゅうりをくれたおじさんを乗せた時、『きゅうりおいしかったよ』と言うと、『そうか』とだけ。口数の少ないおじさん、でもおいしいきゅうりは良く知ってて手間をかけたきゅうりをさっとくれるおじさん。あんなおじさんに自分もなりたい。そんなことを思う今日この頃。
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